[JIMA講座]情報発信者に求められるリテラシーとは?[上] ——その大前提は「信頼性」
古田大輔 JIMA理事/株式会社メディアコラボ代表/ジャーナリスト
情報過多と「メディアへの信頼性」が揺らいでいるこの時代において、情報の発信者こそが習得しなければならないメディアリテラシーがあります。
その根底に求められるもののひとつが「信頼性」です。
この信頼性こそ、メディアを取り巻くさまざまな危機を乗り越える鍵になると筆者=古田大輔さんは強調します。
本稿では、前後編を通じて、歴史ある報道機関とインターネット専業メディアの双方での経験を有する筆者が、メディアが持つべきリテラシーの定義から、なぜ信頼性が必要なのかについて、さらに基本的な概念からインターネット時代の環境や社会動向にまで敷衍して論じます。
本稿は、2020年8月に行われたJIMA会員向けオンラインセミナーを基に、大幅な改稿編集を加えたものです。(事務局)
構成
- 発信者にとっての「メディアリテラシー」とは
- 情報環境は「欠乏から過剰へ」。ゲートキーパーとしてのメディアの終焉
- 激減する収入、それよりも信頼性を優先課題とすべき理由
- 信頼よりも収益を優先させたときに何が起こるのか
—以下、[下]へ—
1. 発信者にとっての「メディアリテラシー」とは
「リテラシー」は、辞書的には「読み・書き能力」「ある分野に関する知識やそれを活用する能力」とされます。「メディアリテラシー」は「多様な情報を入手し、批判的に分析する力」などと解釈されますが、簡単に言うと「信頼できる情報を見きわめる力」です。
ここでいう「メディア」は、新聞、テレビ、雑誌、インターネットメディアに限らず、個人ブログ、SNS投稿やコメントなども含まれます。すべてが正しく信頼できるとは限らないので、当然、情報を見きわめる力が必要になります。そのためメディアリテラシー教育を実施する機関も増えてきました。
その場合、メディアリテラシーという用語は「情報の受信者」を対象にして語られることがほとんどです。が、今回お話したいのは、発信者側に必要なメディアリテラシーです。なぜ、受信者側ではなく発信者側のメディアリテラシーか。まずは、発信者が持つべきリテラシーを2つに定義してみます。
(1)信頼できる情報を発信する力
(2)「われわれが発信する情報は、信頼できる情報だ」と受信者に伝える力
発信者のメディアリテラシーが語られることが少なかったのは、「情報発信のプロであるメディアの人間たちにはリテラシーがあって当たり前」という前提があるからです。
しかし、デジタル時代になり、情報環境は激変しました。伝統的な取材・表現の力だけではなく、デジタル時代のリテラシーが必要となっています。問題は、その教育をする場所がどこにもなく、個々の知見も共有されないことです。
発信者にデジタル時代の「読み書き能力」はあるか
- 受信者のメディアリテラシーとは
- 多様な情報を入手し、批判的に分析する力 ⇨ 信頼できる情報を見極める力
- 発信者のメディアリテラシーとは
- 信頼できる情報を発信する力
- 信頼できる情報であると受信者に伝える力
伝統的な取材・表現の能力だけでなく
デジタル時代のメディアリテラシーが必要
図 デジタル時代の「リテラシー」とは
発信者が持つべき2つのリテラシーで共通するキーワードは「信頼」です。職人気質の発信者は「質が高いコンテンツを出せば良い」と考えがちですが、そうではありません。例えば、読者に支持され、たくさんシェアされている記事が品質が高く、そうではないものが低品質かというと比例しません。
だからこそ、「信頼できる情報を発信する力」と「信頼できる情報であると受信者に伝える力」の両方が必要になります。品質だけでは、信頼されるのに十分ではありません。
2. 情報環境は「欠乏から過剰へ」。ゲートキーパーとしてのメディアの終えん
ここで議論の前提となる情報環境の激変について簡単に振り返ります。
情報環境は「欠乏から過剰へ」と激変しました。インターネットにさらに、スマートフォンとソーシャルメディアが加わり、いつでも誰でもどこでも情報を受発信できるようになり、情報の大氾濫が起こりました。
流通経路も複雑化しました。かつてはA新聞社の記者が書いた記事は、A新聞紙に掲載され、その新聞を配達員が各家庭に配っていた。ところが現在は、A新聞記者が書いた記事が「Yahoo!ニュース」に転載され、その記事をTwitter経由で個人のスマホで見るといった具合です。マスメディアによる情報配信の垂直統合モデルの崩壊です。
情報を広く発信するならばマスメディアに頼らざるを得なかった時代、マスメディアによる情報の寡占が終わりました。
これは「情報の民主化」とも言えます。そこにはポジティブな面もあれば、ネガティブな面もあります。
ポジティブな面は、「権力とマスメディアによる情報の独占の崩壊」、「誰もが発信者・受信者・拡散者になったことでオーディエンスからユーザーへと変化」、それが契機となり、「次々と生まれる新しい情報の流通・表現手法」です。
ネガティブな面は、「情報が流通するプラットフォームの強大化」、「独占の崩壊が生み出した玉石混交の情報の奔流」、「ウォッチドッグだったマスメディアが監視される側に」ということです。
最後の「マスメディアが監視される側になる」ということは良い面もあります。健全な監視は、成長のきっかけとなります。一方で、間違った批判も受けやすくなり、信頼性の獲得が非常に難しくなりました。
これらを一言で表現すれば、「情報のゲートキーパーとしてのメディアの終焉」とも言えます。20世紀は、さまざまな情報がマスメディアに集約され、マスメディアはそのなかから情報を取捨選択し、発信してきました。それが根本的に崩れた。
たんにコンテンツをデジタル化すれば問題が解決するわけではありません。メディアのゲームのルールが完全に変わってしまった。野球をやっていたのが、いつの間にかサッカーになっていたぐらい変わっています。新たなゲームのルールを理解し、戦略を立てなければいけません。そこを理解することもデジタル時代のメディアリテラシーです。
3. 激減する収入、それよりも信頼性を優先課題とすべき理由
メディアの存在感が希薄になるなか、大きな課題となっているのが収益性の確保です。2020年3月に電通が発表した「2019年 日本の広告費」によると、インターネット広告費は6年連続で2桁成長を遂げ、テレビメディア広告費を抜いて初めて2兆円越えとなりました。
その一方で、たとえば新聞の事業構造はどうなっているかといえば、新聞協会加盟の一般紙(61社)のデジタル事業収入が全収入に対して占める割合は、平均1.439%です。デジタル化の波に完全に乗り遅れています。
広告費は加速的にインターネットへ
新聞協会加盟の一般紙(61社)のデジタル事業収入は2018年で平均1.439%
図 加速する広告予算のネットシフト
では、インターネットメディアが儲かっているかというと、そうでもありません。ネット広告費の大半は、コンテンツの流通を握る大手プラットフォームに流れているからです。数多あるネットメディアはその残りを奪い合っており、完全なレッドオーシャンです。数少ないマスメディアで広告費を分け合っていた時代とは完全に異なります。
こういうと、「信頼性の向上よりも、収益性の確保が最優先課題ではないか」という意見が出るかもしれません。しかし、収益性よりも信頼性確保に着手すべき絶対的な理由があります。
それは、発信者であるメディアにとって、信頼されることがメディアの価値の源泉であり、信頼されることでユーザーとの結び付きが強固になり、それが最終的に収益につながる、ということが理念だけでなく、データでも示されるようになってきたからです。
2019年にアメリカで開催された世界最大規模のデジタルニュースジャーナリズムの非営利団体「Online News Association」(ONA)総会に参加したところ、3日間で160を超える分科会が開かれ、信頼性に関する発表と議論が最も多かった。あらゆるメディアにとって、それだけ重要な課題となっているということです。
読者がどのような行動をへてユーザー登録したり、課金したりするか。ツールと手法の進化でより詳細な分析ができるようになり、単純なPVではなく、より深く、ユーザーの信頼がメディアにとって死活的に重要であることがわかるようになってきました。
先ほども指摘したようにインターネット広告の世界はレッドオーシャンです。今後のメディアは収入源の多様化が必須で、課金や寄付、Eコマースやイベントなど、様々な手法でユーザーで関わり(エンゲージメント)を深める方向に向かっています。そして、そのどれをとっても、信頼がなければ成功はありえません。
4. 信頼よりも収益を優先させたときに何が起こるのか
もう一つ、なぜ、信頼性が収益性より大切なのか、事例をあげます。日本でメディアの信頼性が社会的に問われるようになったきっかけの1つに、2016年末に起こったWELQ問題があります。DeNAが運営する医療健康情報サイト「WELQ」において、医学的根拠がまったくない記事や外部からのコピペ記事が大量に掲載されていました。
当時、私が創刊編集長をしていたBuzzFeed Japanが、これらの記事がマニュアルに基づいて組織的に量産されていることを特報し、「ユーザー利益と著作権法に反する」と指摘して問題となった事件です。これによりWELQ事業は停止に追い込まれました。
しかし、このときもそれ以後もWELQよりもひどいコンテンツを出しているメディアはたくさんあります。問題は個々の粗悪な情報だけではなく、むしろ「メディアの社会的責任」に対する認識の広がりが欠けていることではないでしょうか。
WELQの事業計画はしっかりとしたものでした。データに裏打ちされた成長戦略があった。しかし、ユーザーに信頼性のある医療健康情報を届けるということよりも、成長、つまりは収益性が優先してメディアが歪んでしまった。短期的にはデジタル戦術が秀でていれば低品質でも成長しますが、長期的には厳しいし、そもそもそういうサービスをやる意味があるでしょうか。
こういった事案も踏まえて、改めて信頼性という観点で発信者のリテラシーを考えた場合、大きく2つの能力が必要になると思います。
まず備えておくべきは、メディアで情報を発信するプロとしての伝統的な取材・表現の能力です。伝統的な新聞社や出版社の場合、取材や発信の経験を積み、基本的な著作権法や参考情報の引用の仕方などを学んでいきますが、新興メディアのなかにはこうしたスキルを学ぶ機会がない人もいます。
法的な知識で言えば、少なくとも、著作権法や、担当する分野にもよりますが、問題になりやすい医薬品医療機器法(薬機法)、景品表示法の内容、日本インタラクティブ広告協会(JIAA)が定めるインターネット広告のガイドラインなどの内容を確認し、基本的な法的ルールを押さえておく必要があります。編集長やメディア企業の幹部はこれらの基本情報に一度は目を通しておくべきでしょう。
ポイント
- 「情報の民主化」で、デジタル時代のメディアリテラシーが発信者にも求められる
- 「信頼できる情報を発信する力」と「信頼できる情報だと受信者に伝える力」
- 収益性と信頼性の危機の中で、まず取り組むべきは信頼性の獲得
- 収益性を優先させるとWELQ事件のような不幸な結果に繋がりかねない
- まずは取材手法や法的知識など伝統的なリテラシーがベースになる
(まとめ:岩崎史絵/JIMA事務局)