JIMAの活動 : シリーズ : ニュース : メディアリテラシー

法政大学が発行する「メディア情報リテラシー研究」にリテラシー部会の寄稿が掲載されました

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このたび、法政大学が発行する紀要 『メディア情報リテラシー研究』第7巻第2号(2026年9月/特集:ニュースとメディアリテラシー)に、 JIMAリテラシー部会の寄稿が掲載されました。


示すだけでは届かない ─「何が良い情報か」を、みんなで
JIMA リテラシー部会の歩みから

蜷川 聡子
一般社団法人インターネットメディア協会(JIMA)
理事・リテラシー部会長 / 株式会社ジェイ・キャスト 常務取締役

下村 健一
JIMA リテラシー部会メンバー / 白鷗大学特任教授

【プロローグ】松本サリン事件の戦慄

1994年6月27日──のちに「メディアリテラシーの日」に制定されることになる日の深夜、長野県松本市内の閑静な住宅街。何者か(後日オウム真理教信者の一団と確定)が猛毒のサリンガスを散布し、“松本サリン事件報道”は始まった。死者8 人・重軽症者600 人以上を出す大惨事に多くの国民が再発への不安を抱き、一刻も早い犯人逮捕のニュースを待ち望む。そんな空気の中で、第一通報者の会社員が犯人であるかのように匂わせる警察情報にメディアは引っ張られ、読者・視聴者も踊らされ、会社員宅には「早く白状しろ」「社会から消えろ」といった手紙、FAX、電話が全国から押し寄せる事態となった。

会社員氏の「私は潔白」という主張を予断なく詳細に報じたTBS の情報番組や、そこでキャスターをしていた私も、「殺人者の肩を持つな」「遺族の気持ちも考えろ」と義憤に駆られた非難の声の矛先となった。世論の多数派に背く見方を示すとはけしからん!の一辺倒で、異なる見方の提示を評価する声が全く寄せられないことに、私は戦慄した。

その時、痛切に思った。ただ多様で豊かな情報をメディアが示すだけでは足りない。「何が良い情報なのか」を受け手に認識してもらわなければならない。そして、報じるだけでなく、それを実際に受け止めてもらえるように、私たち発信側が何か新たな工夫をしなければならない、と。それができなければ、この社会は“非国民”が黙らされたあの時代のように、再びたやすく暴走する。

その“新たな工夫”の1 つが、「メディア業界人(現職&元職)自身によるメディアリテラシー教育」だ。もちろん、専門の研究者の方々に、理論の完成度ではかなわない。だが我々には、リアリティがある。「こうやって煽った方が視聴者・読者は食いつくよな」という禁断のテクニックは山ほど知っているし、それを駆使したい誘惑を我慢することのしんどさも大切さも知っている。情報の裏を取るあの手この手の技は持っているし、にも関わらず誤報を出してしまった時の信頼喪失の恐ろしさも身に染みている。発信後の想定外のリアクションに驚き学んだ体験も多々あるし、不用意な発信を批判され猛省した黒歴史もある。そういう泥んこの野生のメディアリテラシー教育実践が、研究者発の洗練されたメディアリテラシー教育理論と対抗関係ではなく協力関係を組んでいけたら、とても有効なのではないか。そう確信した私は、テレビ屋として、転職後は国語教科書執筆者(1)の大学教授として、試行錯誤しながら各地の小・中・高等学校や大学、企業研修などで出張講座を重ねていった。

この取り組みを、一緒に実行していく仲間(組織)が欲しい。そう思っていた最中、インターネットメディアの業界団体を設立しようと準備に奔走していた人たちから、声をかけていただいた。「ネットメディアの信頼性を高めるには、リテラシー活動は欠かせない(2)。その担当者になってほしい。」
そして──

(執筆:ここまで下村/ここから蜷川)

JIMAリテラシー部会が始まった

一般社団法人インターネットメディア協会(JIMA)は、2019 年4 月に発足しました。インターネットメディアが急速に広がるなかで顕在化した、フェイクニュースや情報の信頼性といった課題に、一社ではなく業界全体で向き合うための場です。私は設立当初から理事として関わり、いまはリテラシー部会(3) の部会長を担当しています。

いまでも、最初の総会のことをよく覚えています。会員の多くが「良いコンテンツを作っていこう」と、語っていました。インターネット上に有益な情報を増やして良い環境にしていくこともこの協会の目的でした。それはもちろん大切なことです。けれど私は、それだけでは足りないと感じていました。

当時、私には中学生の息子と、小学校低学年の娘がいました。息子はスマートフォンでいろいろなものを見ていましたが、その中心はYouTube などの動画でした。しかも手元のスマホで見ているので、親の私からは、彼が何を見ているのかほとんどわかりません。その姿を見ていて、私は率直にこう思いました。こういう環境で育った若者が、大人になった途端に今までアクセスしていなかった新聞社や出版社が発行するコンテンツを読み始めるとは思えない、と。もう一つ、気になっていたことがあります。かつては、お茶の間で家族が同じテレビを見て、同じ新聞を読み、それについて意見を交わすことができました。ところがいまは、隣にいる家族が何を見ているのかさえわかりません。間違った情報に触れていても気づけないし、注意もできず、感想を交わすこともできません。情報が、個人の画面のなかに閉じてしまっているのです。

そこで私は、子を持つ親の視点も交えて、こう発言しました。良いコンテンツを作るだけでなく、「何が良いコンテンツなのか」を受け手に知ってもらわなければならない。そして、作るだけでなく、それを実際に見てもらえるように、私たち自身が届ける工夫をしなければならない、と。

総会が終わったあと、一人の男性が私のところへ来ました。下村健一先生でした。「我が意を得たり!一緒にリテラシー部会で活動をしましょう!」それが、すべての始まりでした。

メディアリテラシーに「正解」はない

正直に言えば、総会に参加するまで、私はリテラシー部会というものがあることさえ知りませんでした。

下村先生の講座を初めて体験したのは、2019 年6 月の設立シンポジウム(4)のときでした。参加者がそのエッセンスをほんの少し味わう時間があったのですが、とりわけ「同じ出来事でも、視点が変われば見える事実が変わる」ということを体感させる内容は、大人であってもはっとさせられ、しかも直感的にわかりやすいものでした。これはメディアで働く人間だけのものではありません。多くの人が意識すべき、そしてメディアに接するとき以外にも使える、基本的な考え方でありスキルなのだと感じました。会員向けメディアリテラシー講座の第一回(5)は、その年の9 月に実施されました。

下村先生のメディアリテラシー講座には、「正解」がありません。先生がよく話されるのが、「スイスイスイッチ」という考え方です。私たちは情報に接したとき、つい「マルかバツか、白か黒か」と即座に決めつけて固めてしまいがちです。先生はこれを「カチカチスイッチ」と呼びます。けれど、本当に必要なのは、「マルからバツまで」「白っぽいから黒っぽいまで」のグラデーションのなかを、スライド式に動かしていく受け止め方「スイスイスイッチ」だと。すぐに白黒をつけたくなる私たちにとって、これは決して簡単なことではありません。

もちろん講座には、事実と感想を分ける、写真の見方を考えるといった、ある程度ルールに沿って解いていける要素もあります。けれど多くは、計算問題のように必ず一つの正解があるわけではありません。だからこそ難しく、繰り返し学ぶ意味があるのだと思います。

教育の現場との出会い──日本NIE学会の先生方

JIMA 設立が報じられた年、日本NIE 学会の先生からコンタクトがありました。メディアリテラシー教育について、一緒に取り組めないか、という誘いでした。先生方の問題意識は、現場の実感に根ざしていました。ほとんどの子どもがスマートフォンを使っているのに、校内では禁止のところも多い。メディアに関する教育も、新聞など紙媒体を使ったものが中心で、子どもたちの現実に即していない。そう感じていた先生たちからの連絡でした。もちろん、すべての先生がそう考えているわけではないでしょう。それでも、現実に即した向き合い方を教えられなければ、トラブルは防げません。この危機感は、私自身が家庭で感じていたものと、そのまま重なりました。

愛知教育大学の土屋武志先生、奈良女子大学附属中等教育学校の二田貴広先生を中心に、法政大学の坂本旬先生も加わって、対面のイベントを構想していました。ところが2020 年、新型コロナウイルスが広がり、人が集まる活動の自粛が求められました。そこで私たちが作ったのが、動画講座(6)(7)です。「新型コロナで広がるデマとどう向き合い、子どもたちとどう会話するか」──先生方と共に、この難しい問いに向き合いました。同年のInternet Media Days 2020 (8)でも、日本NIE 学会とのネットワークを活かして、高校生とコロナとメディアリテラシーを本気で考えるプログラムを公開しました。

その後、NIE 学会との活動はさらに広がりました。そして2023 年、三菱みらい育成財団の採択が決まり、「フェイクニュース時代のメディア情報リテラシーを育成する」産・学・高校生協同プログラム(9)が始まりました。高校生自身が、メディアリテラシーを学ぶための教材や授業を考え、それを学校の先生、図書館司書、大学生、そしてメディアの人間が支えるという形の取り組みです。

このプログラムは3 年間続き、2026 年2 月に最終発表(10)を迎えました。3 年間を振り返って印象深いのは、高校生の関心が、時代とともにはっきり移り変わっていったことです。始まった年の中心テーマは「炎上」。自分たちがいかに炎上しないか、という自衛的な関心でした。次の年はフェイクニュースそのものへと視野が広がり、そして最終年度は、AI をめぐる内容が一気に増えました。現実の変化を、高校生自身がリアルタイムで感じ取り、学びのテーマに反映させていく。その姿こそが、この取り組みの核心だったと思います。
活動の相手は、学会だけではありません。リテラシー部会は、さまざまな外部の組織や団体と積極的に手を組んできました。たとえば2022 年には、横浜にある情報・新聞の体験型ミュージアム、ニュースパーク(日本新聞博物館)で、親子向けのメディアリテラシー講座(11)を開きました。博物館の展示を実際に見て回りながら、情報がどのように私たちの手元に届くのかを体感し、そのうえで怪しい情報との向き合い方を学ぶ。施設ならではの強みを活かした、展示と講演を融合させた新しい形の講座です。学校、学会、博物館、そして企業。立場の違う人たちと活動をするたびに、私たちに見えてくる景色は広がっていきました。

活動を通じて見えてきたもの

初年度の「いかに炎上しないか」というテーマは、いま振り返ると象徴的でした。それは受け手として情報とどう向き合うかという話であると同時に、自分が発信する側に立ったときのリテラシーの話でもあったからです。かつて、メディアリテラシーは主に「情報をどう受け取るか」という受け手の問題として語られてきたように思います。けれど高校生たちの関心は、最初から、受け手と発信者の両方にまたがっていました。誰もがスマホから発信できる時代に育つ彼らにとっては、その二つはもう分かちがたいものなのだと、教材のテーマそのものが教えてくれたのです。

この活動の中で、未来をつくる若者たちのメディアに対する意識や課題、そして本当に必要とされているものが何なのかを、忖度のない生の声として聞けたことは、私たちにとって大きな意味がありました。そして、私たち自身も変わらなければならないと感じました。

社会は、経済と制度だけで動いているのではない

そしてこれらの活動で何より強く感じたことがあります。メディアをめぐる問題は数多くありますが、それをメディアだけで、あるいは企業の努力だけで解決しようとしても、力が足りません。かといって、法律などで規制すればよいというものでもありません。

では、どこに大きな力があるのか。それは「教育」の現場なのではないでしょうか。日本の義務教育には、9 年間という長い時間があります。この教育現場との協力は、不可欠なのではないか。活動を続けるなかで、私はそう確信するようになりました。

この力は、本当に大きい。活動を通じて、未来をより良くしていこうと真剣に考える、たくさんの先生方をはじめ、さまざまな立場や世代の方々に出会うことができました。社会は、経済や制度だけで動いているのではありません。教育というものの大きさを、私はこの活動を通じて改めて感じました。
なぜ、受け手を育てることにそこまでこだわるのか。それは、メディアを取り巻く状況そのものが、大きな過渡期にあるからです。インターネットの上では、メディアの発信も個人の発信も同じ一つの画面に混ざり合い、その境目はどんどん意識されなくなっています。高校生たちが受け手と発信者を分けて考えていなかったのは、まさにこの地続きの現実を映していました。そうした環境では、メディアがどれだけ「これは確かな情報です」と発信しても、あるいは「それは違います」と声を上げても、なかなか届きません。だからこそ、届くための土台となる信頼を、受け手の側の力とともに、あらためて育てていく必要があるのだと思います。

良いコンテンツを作ること。それを届けること。そして、何が良いコンテンツなのかを共に考えられる受け手を、社会全体で育てていくこと。この三つは、切り離せません。作り手も、受け手も、そして教育の現場も、同じテーブルにつかなければなりません。JIMA のリテラシー部会が続けてきたのは、遠回りに見えて、その一番の近道だと私は思っています。あの最初の総会で私が口にした思いは、いまもまだ、道の途中にあります。だからこそ、この活動をこれからも続けていきたいと思っています。

(執筆:ここまで蜷川/ここから下村)

【エピローグ】道の途中──この歩みは止めない

昨年秋。JIMA リテラシー部会の一員として、ある地方大学に招かれて行なった私の出張講演に、思わぬ聴講者さんの姿があった。松本サリン事件で犯人扱いされた、あの会社員さん。久々の再会を喜び終演後2 人で呑みに行くと、彼は相変わらずの冷静な口調で、穏やかに微笑みながらこう言った。「下村さん、なかなか面白い事やってるじゃない。」

メディア(送り手も受け手も含めて)から散々な目に遭わされた原点の当事者さんからお墨付きを得て、我々はこれからも、この道を行く。NIE をはじめとする教育現場の先生たちや、研究者の方々とのタッグをますます強めながら。情報社会の混迷は加速度的に深刻化しており、先行きは決して平坦ではない山道だけれど、だからこそ、この歩みを止めるわけにはいかないのだ。

参考URL──────────────

(1)小学5年生国語教科書(光村図書)所収「想像力のスイッチを入れよう」
https://www.mitsumura-tosho.co.jp/webmaga/kotoba-to-manabi/interview/shimomura/video

(2)JIMA「円滑なキャッチボールをめざして」

(3)JIMA の部会について
https://jima.media/about

(4)JIMA 設立シンポジウム(2019 年6 月8 日)

(5)JIMA メディアリテラシー講座 第1 回レポート(2019 年9 月)

(6)緊急公開 新型コロナで広がるデマとどう向き合うか──JIMA メディアリテラシー講座 第3 回(日本NIE 学会共催)

(7)新型コロナウイルス報道をメディアリテラシー授業で扱うには──JIMA メディアリテラシー講座 第4回(日本NIE 学会共催)
https://jima.media/webinar-medialiteracy2/

(8)高校生と本気で考える「コロナとメディアリテラシー」──Internet Media Days 2020 公開アーカイブ

(9)フェイクニュース時代のメディア情報リテラシー育成プロジェクト(三菱みらい育成財団)
https://www.mmfe.or.jp/partners/3004/

(10)高校生がつくるメディア情報リテラシー教材 3 年間の最終報告会(2026 年2 月15 日)

(11 )親子メディアリテラシー講座「『情報の森』を冒険するために」開催レポート(ニュースパーク=日本新聞博物館、2022 年9 月)

(『メディア情報リテラシー研究』第7巻第2号から転載)

▼『メディア情報リテラシー研究』第7巻第2号(PDF)
https://mil.ws.hosei.ac.jp/wp/wp-content/uploads/2026/09/メディア情報リテラシー研究第7巻第2号.pdf